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浦上天主堂 長崎市本尾町
前面に双塔を備えたこの教会は、来訪した人々を圧倒する。内部は荘巌な宗教空間で、自ら身がひきしまる思いがする。しかし、ここでも明治の始め悲惨な浦上四番崩れが起こり、数千人の人々が全国各地に旅(流刑のことを云う)に出た。特に津和野では36名の殉教者が出たと云う。
大浦天主堂 長崎市南山手町
この教会は日本最古の洋風建造物で、国宝に指定されている。「ワタシノムネ、アナタノムネトオナジ」「サンタマリアノ御像ハドコ」浦上の隠れキリシタンが神父に告白した。神父は驚き感動した。それは230年間もの長い間一人の神父も居なくなったこの日本で始めて耳にした信仰復活の宣言だったのです。1865年3月17日金曜日のことでした。

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新大浦教会 長崎市南山手町
国宝大浦天主堂が観光客増加に伴い、不都合となったため昭和50年(1975)現在地に建立された。
大山教会 長崎市大山町
八郎岳の中程にある新しい教会である。黒崎から10戸ばかりが移住したのが始まりと云われている。立派な教会である。
中町教会 長崎市中町
町の中の教会である。近くには、26聖人の殉教地の外、キリシタン時代の遺跡が多数残っている。

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飽ノ浦教会 長崎市飽ノ浦町
三菱重工業長崎造船所の裏の高台にある。ちょっと変わった形の教会である。
岳教会 長崎市福田本町
街の西はずれの長崎カントリークラブの横を通り過ぎた所にある小さな教会である。遠く長崎半島、神ノ島を見下す高台にあり、眺めは素晴らしい。明治の後期、外海地方から移住したのが始まりである。
本原教会 長崎市三原町
浦上天主堂の前を通って東に行くと、小高い丘の上に教会がある。裏の山をマリアの山と云い、徳川時代、浦上の隠れキリシタンがひそかに会合し、祈りを捧げた所である。
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木鉢教会 長崎市古瀬戸町
神ノ島教会の手前、白亜の近代的な教会が丘の上に聳えている。丁度夕方の祈りの鐘をついていた。
神ノ島教会 長崎市神ノ島町
青い空、緑の山に浮かぶ海辺の教会で、白亜の教会は船の目印になっている。ステンドグラスを通した陽の光がきれいである。ここでは、上原謙と雅子さんが結婚式を挙げたと近くの食堂のママさんが話していた。
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愛宕教会 長崎市愛宕町
変わった形の教会である。昭和31年(1956)設立当初から、レデンプトール修道会の修道院付の教会である。
茂木教会 長崎市茂木町
茂木の港を見下す小さな丘の小さな教会である。教会の前には茂木ビワがたわわに実っていた。
 
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深堀教会 長崎市深堀町
三菱重工業香焼工場に隣接している関係で、若い信者多いと云う。
       


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